episode5

ママのお通夜のあと尾崎と別れ、帰宅ラッシュで混雑する満員電車に乗り込む。

見知らぬ人同士がくっつき合うこの不思議な空間は気持ちのいいものではなかった。ここにいるすべての人にもいつか死が訪れる。この目の前で今にもため息が漏れそうに、しっかりと両手でつり革を握るこの人はどんな人生なのだろうか、きっと愛する人や守るものがあって、好きでもないこの空間に毎日身を置いているのだろうか。勝手に人の人生を妄想するのも失礼な話だし、こんなことを言える立場にもいない、それにこんな風に知りもしない他人様の人生を偉そうに想像している自分自身が勝手に正しいとか間違いとかを決めているだけで、みんな一生懸命生きていることは間違いない。そこに正解なんてきっとない。自分は一体どんな死に方をするのだろうか。いや、それはどんな生き方をしたくて、どんな生き方をしていくかによって決まる。

 

僕が大学三年生になった当時、父が癌を患い、余命一年を宣告された。そして、宣告通り一年後にこの世を旅立った。この時僕は、「健康とは?」を頭の中で繰り返し自問自答した。世間一般的に言われる「健康」という概念に触れても、腑に落ちることはなく、自分にしか出せない答えが必要だった。僕は父が闘病中に始めたマッサージを、大学卒業後も続けた。

ただ、この道は自分が元々将来を考え時に漠然と持っていた「やりたいこと」とは違った。それでもこの道に進んだ。日々の仕事での学びや気づきは、健康という問いの答えにも近づいてる気がしたし、その答えが見つからない限り、この偉大な人の死を乗り越えて前へ進むことは難しかった。そして何より楽しかった。人の体に直接触れ、改めて人間の体の構造に感動し、体の状態や生活環境を聞きながら、自分の感覚で改善ポイントを工夫し施術する。その結果喜んでもらえる事にやりがいを感じた。元々の「やりたいこと」というのは消えずに有るのは感じていながら、具体的な計画もない漠然とした「夢」よりも、実際に日々学びがあり、誰かに喜んでもらえ、やりがいを感じられる今が間違ってるとは思えなかった。きっと「人生に起こる予期せぬ出会いや別れによって導かれる運命みたいなモノ」もあるのかなと腑に落とした。

この仕事をしながらあるご縁で、資格を取る学校に入学した。学生や先生、恩師との出会い、本気でこの世界で生きていく覚悟を持った人達と生活をする中で、「健康とは」の答えが、自分の心の底に抑え込んでいた「やりたいこと」とリンクし始めていることに薄っすら気づき始めると、それは次第に色濃く、ハッキリと繋がっていった。そこに気づいた時、答えは自ずと導き出されていた。「自分の好きや、やりたいと思うことに挑戦し続けられる状態」身体的にも、精神的にも、自分が身を置く人間環境、世界を捉える思想なども含めて、その状態を保つことが、僕にとって健康という答えになった。この疑問のきっかけは父が死ぬ数週間前、もう自分で立ってトイレに行くのも難しくなっていた時期に、僕が父の体をマッサージしていると小さい声で「きれいな海でイルカと思いっきり泳ぎてぇーなー」諦めると決めている口調でスベった時の冗談のように笑った。その笑顔をみて父はもう健康ではないということは分かった。それから探し続けた、「健康とは」の納得できる答えを見つけた。

そしてまた、新たな自問自答が始まる。「じゃあ、自分は今健康なのか?本当に好きで、やりたいと思うことはなんだ?」しかし、この答えは探さなくても持っていた。

専門学校に入学してすぐ、”脳天をぶち抜かれるようなそんな瞬間”に実はもう出会っていたのだ。その時”これだ”と思った。偶然出会ったその空間で「やりたいこと」から「やること」に変わった。ただその時は”大学卒業して専門学校に入ったばかり”という世間的な目線で、その確信に似たような衝撃的な出会いを必死でかき消していた。

僕は「自分のやりたいことを通して健康な人を増やしたい」そう個人理念として決めた。自分への問いと、新たな道での経験、そして自分の元々の「やりたい」が繋がった。ぼくはその後、専門学校を辞めた。この世界が嫌いだからではない。つまらなかったわけでもない。全てが繋がった先に見えた未来図を大きな白紙のキャンパスに描きたくて、筆をとったその瞬間、自分を抑えられなくなり、噴火のように爆発した。


ママのお通夜の後、感傷に浸っているような自分と、これから未来がママとの出会いで想像していなかった方に進むのではないかという予感でめちゃくちゃになっていた。

ただ「俺もママの様に周りの人達にあなたらしいと言われる死に方がしたい」そう思った。

もしお店をやれることになったとして、何をあの店でやるのか、どんな店にするのか「いやいやそんなことの前に、広さはなん坪で、いくらだ?お金が足りなかったらどうするか。今働いてるお店はどうするのか?」全てが未定だ。気持ちが勝手に先走りあれこれ考えてしまう。まずはその段階にもいないのだから、この気持を伝えることからしなくては。気づけば電車は最寄り駅に着いていた。

見慣れたこの街のおかげで、やっと現実に戻ってきた気分になった。僕が育ったこの街は新宿の都会とは程遠い、だが自然たっぷりな田舎とまではいかない、住みやすいように作られたニュータウンだ。駅から家までの交通手段も歩いて30分。それかバスかタクシーだが、どれも絶妙なバランスでいつも選ぶのを迷う、この時は15分後に来るバスに15分乗るなら、歩いて30分で変わらない。ゆっくり歩いて帰ることにした。

「何もないなーこの街は」そう感じてすぐ、「じゃあ何があれば何かある街なんだ?」

なにもないと感じているのは今の自分の世界観でしかない。

僕の人生はこの街から全て始まっている。全ては見方次第で、景色は180度変えられる。

僕らは、この街で生まれ、育ち、出会った。

自分で事業を始めると決めた時、この街のイタリアンレストランを予約して、尾崎に一緒に事業をしたいと告白したのを思い出す。

その時すでに尾崎は就職が決まっていて、「気持ちは嬉しいし、一緒にやるイメージはできるけど、今の会社も自分が好きで選んだ会社だから、まずはそこで働きたい」今考えれば、なんてタイミングの悪い告白なのだろう。

その答えで僕はこの街を飛び出し、海外での経験を積むことが出来た。

その全てがなければきっと、ママに出会うことはなくこうして今この気持ちでこの見慣れた帰り道を歩いてることもなかったと思うと悪くないなと思う。

久保との出会いもこの街で、なにかある度に現状と夢を話して、彼はそれを黙って聞いてくれていた。不安や不満も彼はいつも受け止めてくれた。

そんな二人と、これから一緒にこの世にgood waveを生もうとしているのだから、それだけでこの街は十分すぎる何かをくれた。

全ての選択が時間差がありながら、今の素敵な日々に繋がっている。

だとしたら、今日のこの出来事もママのお通夜も尾崎との会話も、この歩いて駅から帰るという選択も、まだ見ぬ未来のどこかに繋がっているような気がした。


文三さんから一度花の木で会いたいという連絡がきた」と尾崎からのLINE。

尾崎はどうしてもの用事で来れなくなった。

僕の心臓は分かりやすく音量と速度を上げた。


更に勝手な妄想は膨らむ。

「どんな人なのだろう」ママを母親に持つ人。

客観的な希望は、尾崎がママとの関係をつないでくれたにしても、こんな得体の知らない若造に一度でも話を聞いてくれる場を作ってくれるのだから、きっと人情深い人。そう言い聞かせてその日を待った。

僕が語れることは、とにかく”やる覚悟と想い”それしか武器はない。


3月10日15時

場所「花の木」

昼間のゴールデン街は独特のエネルギーを放っていた。

深海に足を踏み入れた感覚。不安や緊張で呼吸は浅く早くなる。呼吸を意識しながら、ゆっくりと花の木の扉の前に着く。

この扉を開けるのは、初めて花の木に訪れた時以来だ。正確に言えば、あの時は自ら扉は開けていない。この扉を初めて自分の手で開ける。果たして、扉の先に何があるのか、一度開けたらもう元には戻れないような緊張とういうより、覚悟が必要だった。今更何をビビるのか、もう前に進む以外ないのに、たった一つの扉を開けるだけ、あとはなるようになる。

一呼吸置いて、扉をあける。想像よりも遥かに軽い力で扉は開いた。

カウンターの奥から二番目の椅子に息子さんは座っていた。顔の雰囲気はママに似ていた。座っているが体は大きく、僕より背が高いことはわかる。「こんにちは」笑顔でそう言われ少し緊張が和らぐ。余裕のある、自然体で大人な人。それがなんだか安心感をくれた。

「はじめまして逵誠也と申します」なるべくいいように見られたいと精一杯明るくした自分の挨拶も終わり、一度目が合ったまま間が空いた。

また急に心臓の音が早くなる。

すると突然「君、むかし暴走族の総長やってた?」

「え?」僕は想像を遥かに超えた質問と、精一杯好青年を演じた挨拶も虚しく、第一印象の勝負が失敗に終わったことに頭が真っ白になる。

「いえ、やっていません!」誤解の無いようにハッキリ言った。そんな気合の入った青春時代を送ったことはない。

「いや僕の知り合いにそうゆうやつがいて、そいつに目が似ているよ」冗談のトーンではなく淡々と話すこの感じに僕はしっかりテンパった。

「それで、この店をやりたいんだって?」いきなり本題に入った。リズムは崩されたものの、ここしか勝負できない僕は全力で思いの丈をぶつけた。話している最中、夢をぶつけても受け止めてくれる器の大きい人だと感じた。

これまで、自分の経験や現状、これからのビジョンを多くの大人に話しては間間にツッコミが入ったが、この人は僕の話す言葉よりもその先にある内側を見ている目だった。こうゆう人の前では上部の言葉や、話を盛った所で意味がない。もう、全てはバレている。逆に真っ直ぐ、笑われる様な大きな事でも、本気で思っている事なら受け止めてくれる。話をする時にこうゆう感覚にしてくれる人は今までに数人しかいない。その全ての人は僕の人生に大きな影響と支援をしてくれた。

この時も僕の下手くそな話を最後までしっかり聞いてくれた。

僕が日本を離れて、初めて暮らしたパラオという国も仕事で行った事があると、共通の話もできた。

一通り話し終えると「気持ちはわかりました。ただ、もう何人かここでやりたいという話があります。少し考える時間をください」とのことだった。

「ありがとうございました。失礼します」僕は店をでた。

「もう何人かやりたい人がいる」この言葉が耳に残って消えなかった。

ゆっくり歩き始め、ゴールデン街から出ると、まるでタイムスリップしたかの様に、人混みの真ん中に戻された。


歩く道が綺麗に整えられ、ずっと先まで照らされていて安心して歩いて行ける道。

遠くの方に希望の光を見つけて、どうしてもそこまで行ってみたい。だけど、そこへ続く道は見当たらない。出会った人に行き方を聞くと、「行けるはずない」と笑われ、「やめた方がいい」と止められる。だけど、「行ってみたい」

あるのかないのか、行けるのか行けないのか分からない。その不安と孤独と緊張。

ワクワクを頼りに、五感以上の感覚を研ぎ澄まし、己で進む方向を決めて行く道。


きっと、どっちの道がいいとか、すごいとかもない。

行き着く先はこの肉体を脱ぎ去り、この世からまた何処かへ旅立つ為の出発点である「死」。それはどこの誰でも、どんな道でも変わらない。同じ今世の最終地点だ。


僕は、何も先が決まっていないこの道を望んで歩んでいる。

そして、きっとそれはこの先も変わる事なく続いて行く。

「お店が出来たら、どうしようか。

もし、出来なかったらどうするか」

僕はこの時不安や憂鬱ではなく、ワクワクと興奮が自分の背中を押し、ママが残してくれた

「あなた達なら出来るわ」という言葉を「俺たちなら出来る」に変えて、また新宿からの満員電車に乗り込んだ。