episode5

ママのお通夜のあと尾崎と別れ、帰宅ラッシュで混雑する満員電車に乗り込む。

見知らぬ人同士がくっつき合うこの不思議な空間は気持ちのいいものではなかった。ここにいるすべての人にもいつか死が訪れる。この目の前で今にもため息が漏れそうに、しっかりと両手でつり革を握るこの人はどんな人生なのだろうか、きっと愛する人や守るものがあって、好きでもないこの空間に毎日身を置いているのだろうか。勝手に人の人生を妄想するのも失礼な話だし、こんなことを言える立場にもいない、それにこんな風に知りもしない他人様の人生を偉そうに想像している自分自身が勝手に正しいとか間違いとかを決めているだけで、みんな一生懸命生きていることは間違いない。そこに正解なんてきっとない。自分は一体どんな死に方をするのだろうか。いや、それはどんな生き方をしたくて、どんな生き方をしていくかによって決まる。

 

僕が大学三年生になった当時、父が癌を患い、余命一年を宣告された。そして、宣告通り一年後にこの世を旅立った。この時僕は、「健康とは?」を頭の中で繰り返し自問自答した。世間一般的に言われる「健康」という概念に触れても、腑に落ちることはなく、自分にしか出せない答えが必要だった。僕は父が闘病中に始めたマッサージを、大学卒業後も続けた。

ただ、この道は自分が元々将来を考え時に漠然と持っていた「やりたいこと」とは違った。それでもこの道に進んだ。日々の仕事での学びや気づきは、健康という問いの答えにも近づいてる気がしたし、その答えが見つからない限り、この偉大な人の死を乗り越えて前へ進むことは難しかった。そして何より楽しかった。人の体に直接触れ、改めて人間の体の構造に感動し、体の状態や生活環境を聞きながら、自分の感覚で改善ポイントを工夫し施術する。その結果喜んでもらえる事にやりがいを感じた。元々の「やりたいこと」というのは消えずに有るのは感じていながら、具体的な計画もない漠然とした「夢」よりも、実際に日々学びがあり、誰かに喜んでもらえ、やりがいを感じられる今が間違ってるとは思えなかった。きっと「人生に起こる予期せぬ出会いや別れによって導かれる運命みたいなモノ」もあるのかなと腑に落とした。

この仕事をしながらあるご縁で、資格を取る学校に入学した。学生や先生、恩師との出会い、本気でこの世界で生きていく覚悟を持った人達と生活をする中で、「健康とは」の答えが、自分の心の底に抑え込んでいた「やりたいこと」とリンクし始めていることに薄っすら気づき始めると、それは次第に色濃く、ハッキリと繋がっていった。そこに気づいた時、答えは自ずと導き出されていた。「自分の好きや、やりたいと思うことに挑戦し続けられる状態」身体的にも、精神的にも、自分が身を置く人間環境、世界を捉える思想なども含めて、その状態を保つことが、僕にとって健康という答えになった。この疑問のきっかけは父が死ぬ数週間前、もう自分で立ってトイレに行くのも難しくなっていた時期に、僕が父の体をマッサージしていると小さい声で「きれいな海でイルカと思いっきり泳ぎてぇーなー」諦めると決めている口調でスベった時の冗談のように笑った。その笑顔をみて父はもう健康ではないということは分かった。それから探し続けた、「健康とは」の納得できる答えを見つけた。

そしてまた、新たな自問自答が始まる。「じゃあ、自分は今健康なのか?本当に好きで、やりたいと思うことはなんだ?」しかし、この答えは探さなくても持っていた。

専門学校に入学してすぐ、”脳天をぶち抜かれるようなそんな瞬間”に実はもう出会っていたのだ。その時”これだ”と思った。偶然出会ったその空間で「やりたいこと」から「やること」に変わった。ただその時は”大学卒業して専門学校に入ったばかり”という世間的な目線で、その確信に似たような衝撃的な出会いを必死でかき消していた。

僕は「自分のやりたいことを通して健康な人を増やしたい」そう個人理念として決めた。自分への問いと、新たな道での経験、そして自分の元々の「やりたい」が繋がった。ぼくはその後、専門学校を辞めた。この世界が嫌いだからではない。つまらなかったわけでもない。全てが繋がった先に見えた未来図を大きな白紙のキャンパスに描きたくて、筆をとったその瞬間、自分を抑えられなくなり、噴火のように爆発した。


ママのお通夜の後、感傷に浸っているような自分と、これから未来がママとの出会いで想像していなかった方に進むのではないかという予感でめちゃくちゃになっていた。

ただ「俺もママの様に周りの人達にあなたらしいと言われる死に方がしたい」そう思った。

もしお店をやれることになったとして、何をあの店でやるのか、どんな店にするのか「いやいやそんなことの前に、広さはなん坪で、いくらだ?お金が足りなかったらどうするか。今働いてるお店はどうするのか?」全てが未定だ。気持ちが勝手に先走りあれこれ考えてしまう。まずはその段階にもいないのだから、この気持を伝えることからしなくては。気づけば電車は最寄り駅に着いていた。

見慣れたこの街のおかげで、やっと現実に戻ってきた気分になった。僕が育ったこの街は新宿の都会とは程遠い、だが自然たっぷりな田舎とまではいかない、住みやすいように作られたニュータウンだ。駅から家までの交通手段も歩いて30分。それかバスかタクシーだが、どれも絶妙なバランスでいつも選ぶのを迷う、この時は15分後に来るバスに15分乗るなら、歩いて30分で変わらない。ゆっくり歩いて帰ることにした。

「何もないなーこの街は」そう感じてすぐ、「じゃあ何があれば何かある街なんだ?」

なにもないと感じているのは今の自分の世界観でしかない。

僕の人生はこの街から全て始まっている。全ては見方次第で、景色は180度変えられる。

僕らは、この街で生まれ、育ち、出会った。

自分で事業を始めると決めた時、この街のイタリアンレストランを予約して、尾崎に一緒に事業をしたいと告白したのを思い出す。

その時すでに尾崎は就職が決まっていて、「気持ちは嬉しいし、一緒にやるイメージはできるけど、今の会社も自分が好きで選んだ会社だから、まずはそこで働きたい」今考えれば、なんてタイミングの悪い告白なのだろう。

その答えで僕はこの街を飛び出し、海外での経験を積むことが出来た。

その全てがなければきっと、ママに出会うことはなくこうして今この気持ちでこの見慣れた帰り道を歩いてることもなかったと思うと悪くないなと思う。

久保との出会いもこの街で、なにかある度に現状と夢を話して、彼はそれを黙って聞いてくれていた。不安や不満も彼はいつも受け止めてくれた。

そんな二人と、これから一緒にこの世にgood waveを生もうとしているのだから、それだけでこの街は十分すぎる何かをくれた。

全ての選択が時間差がありながら、今の素敵な日々に繋がっている。

だとしたら、今日のこの出来事もママのお通夜も尾崎との会話も、この歩いて駅から帰るという選択も、まだ見ぬ未来のどこかに繋がっているような気がした。


文三さんから一度花の木で会いたいという連絡がきた」と尾崎からのLINE。

尾崎はどうしてもの用事で来れなくなった。

僕の心臓は分かりやすく音量と速度を上げた。


更に勝手な妄想は膨らむ。

「どんな人なのだろう」ママを母親に持つ人。

客観的な希望は、尾崎がママとの関係をつないでくれたにしても、こんな得体の知らない若造に一度でも話を聞いてくれる場を作ってくれるのだから、きっと人情深い人。そう言い聞かせてその日を待った。

僕が語れることは、とにかく”やる覚悟と想い”それしか武器はない。


3月10日15時

場所「花の木」

昼間のゴールデン街は独特のエネルギーを放っていた。

深海に足を踏み入れた感覚。不安や緊張で呼吸は浅く早くなる。呼吸を意識しながら、ゆっくりと花の木の扉の前に着く。

この扉を開けるのは、初めて花の木に訪れた時以来だ。正確に言えば、あの時は自ら扉は開けていない。この扉を初めて自分の手で開ける。果たして、扉の先に何があるのか、一度開けたらもう元には戻れないような緊張とういうより、覚悟が必要だった。今更何をビビるのか、もう前に進む以外ないのに、たった一つの扉を開けるだけ、あとはなるようになる。

一呼吸置いて、扉をあける。想像よりも遥かに軽い力で扉は開いた。

カウンターの奥から二番目の椅子に息子さんは座っていた。顔の雰囲気はママに似ていた。座っているが体は大きく、僕より背が高いことはわかる。「こんにちは」笑顔でそう言われ少し緊張が和らぐ。余裕のある、自然体で大人な人。それがなんだか安心感をくれた。

「はじめまして逵誠也と申します」なるべくいいように見られたいと精一杯明るくした自分の挨拶も終わり、一度目が合ったまま間が空いた。

また急に心臓の音が早くなる。

すると突然「君、むかし暴走族の総長やってた?」

「え?」僕は想像を遥かに超えた質問と、精一杯好青年を演じた挨拶も虚しく、第一印象の勝負が失敗に終わったことに頭が真っ白になる。

「いえ、やっていません!」誤解の無いようにハッキリ言った。そんな気合の入った青春時代を送ったことはない。

「いや僕の知り合いにそうゆうやつがいて、そいつに目が似ているよ」冗談のトーンではなく淡々と話すこの感じに僕はしっかりテンパった。

「それで、この店をやりたいんだって?」いきなり本題に入った。リズムは崩されたものの、ここしか勝負できない僕は全力で思いの丈をぶつけた。話している最中、夢をぶつけても受け止めてくれる器の大きい人だと感じた。

これまで、自分の経験や現状、これからのビジョンを多くの大人に話しては間間にツッコミが入ったが、この人は僕の話す言葉よりもその先にある内側を見ている目だった。こうゆう人の前では上部の言葉や、話を盛った所で意味がない。もう、全てはバレている。逆に真っ直ぐ、笑われる様な大きな事でも、本気で思っている事なら受け止めてくれる。話をする時にこうゆう感覚にしてくれる人は今までに数人しかいない。その全ての人は僕の人生に大きな影響と支援をしてくれた。

この時も僕の下手くそな話を最後までしっかり聞いてくれた。

僕が日本を離れて、初めて暮らしたパラオという国も仕事で行った事があると、共通の話もできた。

一通り話し終えると「気持ちはわかりました。ただ、もう何人かここでやりたいという話があります。少し考える時間をください」とのことだった。

「ありがとうございました。失礼します」僕は店をでた。

「もう何人かやりたい人がいる」この言葉が耳に残って消えなかった。

ゆっくり歩き始め、ゴールデン街から出ると、まるでタイムスリップしたかの様に、人混みの真ん中に戻された。


歩く道が綺麗に整えられ、ずっと先まで照らされていて安心して歩いて行ける道。

遠くの方に希望の光を見つけて、どうしてもそこまで行ってみたい。だけど、そこへ続く道は見当たらない。出会った人に行き方を聞くと、「行けるはずない」と笑われ、「やめた方がいい」と止められる。だけど、「行ってみたい」

あるのかないのか、行けるのか行けないのか分からない。その不安と孤独と緊張。

ワクワクを頼りに、五感以上の感覚を研ぎ澄まし、己で進む方向を決めて行く道。


きっと、どっちの道がいいとか、すごいとかもない。

行き着く先はこの肉体を脱ぎ去り、この世からまた何処かへ旅立つ為の出発点である「死」。それはどこの誰でも、どんな道でも変わらない。同じ今世の最終地点だ。


僕は、何も先が決まっていないこの道を望んで歩んでいる。

そして、きっとそれはこの先も変わる事なく続いて行く。

「お店が出来たら、どうしようか。

もし、出来なかったらどうするか」

僕はこの時不安や憂鬱ではなく、ワクワクと興奮が自分の背中を押し、ママが残してくれた

「あなた達なら出来るわ」という言葉を「俺たちなら出来る」に変えて、また新宿からの満員電車に乗り込んだ。

 

 

 

episode4

2018年1月1日

地元の神社へ尾崎と初詣に来ていた。

「今年は飛躍の年にしようね」

毎年のように言うこのセリフも年々色んな意味がプラスされていくのを感じる。

今年は自分の中のタイムリミットでもある。

それが過ぎたから「はい、夢は諦めました」って事ではなく、出来るまでやってやる気は元々あるのだが、八年前に余裕だと思っていた事がまだ目の前にないことに、焦りは感じていた。だから、敢えて自分の中でやたらとリミットを意識していた。

ただ当時はいなかった、久保と尾崎が仲間にいることがとても心強かった。

「どうにかなる」

「絶対やれる」

昔からある根拠のない自信は、まだまだ自分の中にあった。


それから数日後

2018年1月12日

「花の木のママ、昨日朝亡くなったんだって」

突然の尾崎からの報告。

「マジ、なんで」

花の木に訪れてから予想してないことが多く続いていたこともあり、冗談のように聞こえた。

冗談で尾崎がそんな事言うはずはないが、あまりにも急な話で思考と感情がついていかない。

「突然だったんだって」

信じ難い報告で、悲しさよりも驚きが勝っていた。

ついこの間まで尾崎がアルバイトしていたし、ママの生きた言葉にエネルギーを貰っていたのに、、、。

僕がママにあったのは、半年前の一回だけ。

普通に考えれば、人生での共有した時間の長さや思い出の数に比例して、悲しさや寂しさは決まるのかもしれない。そう考えれば、言い方は悪いが、一回だけしか会ったことのない人の「死」の報告だ。

「残念だったね」と言って、その後は特に気にも止めず当たり前の日常を過ごせるはずだった。

しかし不思議なことに、この報告を受けた僕は頭が真っ白になり、冷静になれと言い聞かすほど、動揺していた。

多くのママの姿を持ち合わせていない僕は、「花の木」という別世界に迷い込み、優しく背中を押してくれた、あの日のママの笑顔を何度も思い返していた。

仕事中も頭からあの日の花の木の映像が離れてくれない。

いつもの様に、元気に笑顔でいる事が辛いと感じた。


「なんか不思議だな」

時間が経ち、少し冷静になると、自分の花の木やママに対する想いが自覚していたより強かった事に気づき、少し笑えた。

人はなにかを失ってから気づく事がある。そして、もっと「あーしとけばよかった」と後悔してしまう瞬間もあるが、逆に本当に自分が大切に思っている本質に気づける瞬間でもある。

花の木を訪れたあの日、偶然の出会いからママが僕らの背中を押してくれた。

この出来事で僕達の心に何か大きなエネルギーが生まれた。

今の時代何でもすぐにインターネットで検索すれば、わからないことや欲しい情報が手に入るが、花の木の空気感とママの生きた言葉による希望の様な感情は、人と人の偶発的な出会いの中にある気がした。

そしてこれは僕達の”創りたいモノ”に似ていた。

「あのお店はどうなるのだろう」

お店の今後の心配をすることなんて今までにはなかったが、単純にあの空気感が無くなる事が悲しかった。

尾崎から「ママが亡くなったことを知らないお客さんもいるから、看板は付けずにお店開けることになったから、来週の火曜日に花の木行ってくるね」と連絡が来た。


ママの死因は大動脈破裂だった。

亡くなるその日までお店を開けて、帰って寝たまま朝方天国に旅立った。

表情は穏やかだったという。

経験上、人の死に際にはその人の人生が現れる気がしている。

僕は、人生でとても偉大な二人、母方の祖父と、父親の息を引き取る瞬間を看取った経験がある。

どちらも、旅立つ瞬間までその人柄が現れていたのを覚えている。

息を引き取るタイミングも、まるでこのことを待っていたかの様に、「誰にも後悔させないようにしたのかな」って思う様なエピソードがいくつもあった。

ママの最後を聞いて、凄くカッコいい最後だなと思った。

ママにとって「花の木」というお店がどれほどのお店なのか、分かると言ったらおこがましいが、きっととても大切で、大好きな場所で、人生かけたお店。

45年一つのお店に立ち続ける、この偉大さは想像を遥かに超えることなんだろうということは頭で理解しようとした。

そして、家族やお客さん、周りの人とのママとしての関わり。その全てが、この死に方に”ママらしい”と言わせたんだろうと思う。

お店の件に関しては、このまま「花の木」として続ける事は難しいということ。次男の息子さんが後の事を担当するが、息子さん自体は継ぐ意思はないとのことだった。

花の木に始めて訪れた日のことを思い返していた。

何度思い返してもとても奇跡的なストーリーに感じた。

「このまま知らない人が全く新しい店にするのは嫌だ」

「ママの意志を継いで俺たちでやってみたい」


そう思った時。心の奥底の何かがジワッと溢れ出した。


もともと宿泊事業をやろうで集まった僕らではあるし、正直新宿という場所にもそこまで惹かれてはいなかった。自分たちの初めの事業がBARであることも全く予定にはない。

だけど、単純に世間一般的にいう業態とか、お店の広さ、そんなことよりもっと根本の思想みたいなところでママと繋がれていた事に改めて気付かされた。

”ママが人生かけて作った花の木を僕たちが人生かけてやろうとしている事業の1号店目としてやらせてもらえたら”

一気に頭の中に自分たちがあそこの場所でお店をしている風景がいっぱいに広がった。

物件探しをする時「イメージが出来ない場所は上手くいかない」と、いつもネットや実際の内見の時には、そこを意識して探して来たつもりだが、こんなに鮮明に臨場感のある映像は初めてだった。

だけど、そうはいってもどうしたらいいのかもわからないし、まだお葬式やお通夜も終わっていない。

そんな時にこんな事で興奮している自分は不謹慎な奴に感じた。

まずはしっかりママをお見送りしよう。

尾崎に自分もお通夜に行く旨を伝えた。

「一度しか会ったことのない奴が」と一瞬頭を過ぎったが、尾崎もお世話になったし、どうしても行きたい気持ちになっていた。


2018年1月20日


お通夜は新宿西口のビル街を抜けて、静かな住宅街に入った所に会場になる綺麗なお寺が現れた。何よりも驚いたのが、参列している人の数だ。会場の外まで列が伸び、ジグザグにならないと収まらないほどで、それを見て、花の木の棚一杯のウィスキーボトルが頭に浮かんだ。

「あのボトルの数が人なんだ」その人達が目の前にいた。

僕らを花の木に連れて行ってくれたおじさんも参列していたので、目が合い挨拶すると、とても静かな返事が返ってきた。

きっとみんな突然という事もあり、整理の仕方はママとの関係性の数だけ違うんだろう。


中に入ると、これもまた初めて見るお通夜の形式だった。

そこには等身大の若かりし頃のママのパネルと、花の木のカウンターがセットされていた。

そして、ママとウィスキーで献杯をした。

凄く斬新ではあるが、ご家族のママへの愛を感じた。

ママの遺言で「お店のお酒はみんなに振る舞って」と前々から言っていたらしく、二階の会場ではボトルキープをしていた人たちが、残された自分のお酒を飲んでいた。

ちらっと僕らも二階を覗いたが、当然僕らが入っていける空気ではなく、すぐに会場を後にした。

お通夜に良いも悪いもないだろうが、ママという大きな存在を感じた。


やっぱりお店はハコの大きさではない、そのお店がもつ世界の広さ、深さ、人と人の目には見えない繋がりなんだな。

「僕らでやってみたい」ママはこの想いをどんな風に感じるのかな。

ママの答えは聞けないけど、あの日「あなた達にはやれるわ」その言葉がまた聞こえてきた。

とにかくまずは、この想いを息子さんに伝えてみよう。

そう決めた僕は、まずは尾崎にその旨を伝えた。


「ママとの出会いは本当奇跡的。私あの店のあの空間を体感出来てほんと良かったと思ってる。貴方達なら、ゆずってもいいわって。言ってくれるかもしれないね」

尾崎が言ったこの時、本当にママに言われた様な気がした。

この瞬間覚悟は決まった。

どうなるのか見えない未来に不安を膨らませるより、今出来る事を一つずつやろう。

後は運とやらがあるのかないのか、これまでの僕らの歩みが正しければ、どんな結果になろうと、次に繋がる経験になるだろう。

良いか悪いか分からないが、どんな手を使ってもやらしてもらいたいとか、これが上手くいかなければ夢は諦める気持ちではなかった。

これまでにチャンスと思える話もあって、それを何が何でも掴みとると必死になった時期もあったし、事ある毎に一喜一憂した経験がそうさせているのかもしれない。


確かな事は、この街が好きとか、場所がいいとか、ここでやれば儲かるでもない、そもそも家賃がいくらなのかも分からなかったし、通常お店をやる前に優先して考えるべき条件みたいな部分は、頭のどこかへ行ってしまっていて、もっと目に見えない深い所でやりたいと感じていた。

商人としては、想いだけでは駄目なのは分かっている。人を巻き込み、その人の人生があるのだから、やるからには儲けなればいけないことなど分かっている。

しかし、あまりにも多くの人からの儲かるかを重視し、責任を突きつける問いかけに「現実を見て諦めたほうがいい」そう聞こえる自分に嫌気がさしていたことも事実だ。

誰かの人生の中で、僕らの生み出すコト、モノに価値があるのか。「誰かの為になりたい」この気持ちやサービスを表現出来る場所をずっと探していたんだ。

それが優しい笑顔で包んでくれたママが作った花の木の中にはあった。


何かを始める最初の感覚やイメージは、数字や責任、現実などシカトして、ココロを思いっきり輝かせたコト・モノで有りたい。

花の木を訪れたあの夜、僕はママにこれからの想いを伝えた。それを疑うことなく、信じて、応援してくれた。人は多くを語るが、大切な事を決める時のポイントは意外とシンプルだ。

僕らは日々多くの人と出会う。しかし、自分の人生に影響を及ぼす程の出会いはそう多くない、それは一体どういう時なのだろう。

今まで解けていなかった自分の中にあった問に、少し答えの欠片が見えた気がした。

「自分の思想や想いを強く持つこと、そこに向かって行動し続けること、そうするとそれと似た想いを持つ人と出会った時に特別な繋がりになるのかもしれない」


ママから貰った大きな気づきに一人ニヤけてるのを尾崎にバレないように、偉そうに永遠と並ぶ高層ビルの間の夜空を見上げた。人混みの中にある新宿駅に着き、尾崎と別れた。


別にまだ何も始まっていない。

「さぁ、こっからだ」

HALO episode3

「花の木の出勤日決まりました。笑」

「え、マジ!!いつ?」

 尾崎からLINEが届いた時、僕は従兄弟が脱サラしてオープンした恵比寿の串揚げ屋さんにいた。人酔いするほど、混み合う店内で、アルバイトをしていた。

 ゴールデン街の"花の木"に行ったのは、ついこの前だ。たしかに、尾崎は「ママに弟子入りしたい」と言っていた。まさか、本当に働くことになるとは思ってもみなかった。

 新宿やゴールデン街に期待なんて1ミリもしてなかった。

ただ、"面白そうじゃん"その感覚的なモノで足を運んだ街。そこで出会った知らないおじさんに連れて行かれたお店。そのたった一回で、働くなんて。

これだから人生は面白い。

 「なんで花の木で働こうと思ったの?」

 「花の木に入った時、一瞬にして別世界に迷い込んだって思った。名札の付いたボトルが棚いっぱいに並んでいて、ママが45年間作ってきた人との繋がりに、感動したの。私もカフェでそれを作ろうとしていたから。それを自分の知らなかった空間で作っているママと話して、この人と一緒に働いてみたいって素直に思ったの」

 今振り返ると、この尾崎の選択が"偶然では片付けられない出会い"と"HALOを生みたい想い"が繋がり始めた瞬間だった。

 尾崎がなぜ、前職のカフェに就職し、そこでなにを経験し、大切にしたのか。その先に求めたモノ、元々根本に持つ想い。そこから離れ、本気でここから何を生み出そうとしているのか。その為に日々感じ、考える、現実と想い。新しい仲間との動き。

 あげればキリがない。ただその全てが「花の木で働く」に尾崎を導いた。

 そうは言っても、この出会いや選択はこの世に生を受けてから、今まで歩んで来た人生の道筋がなければ生まれない。

 僕が、自分で事業を立ち上げたいと思った時、1番に頭に浮かんだのは尾崎だった。生まれてすぐ出会い、共に育った幼なじみ。一緒にやりたい理由として、これは否定はできない。

 だけど、それだけでは事業など出来ない。事業相談のアドバイスの中に「友達とはやるべきではない」は、決まり文句だった。でも僕はいつも、心の中で中指を立てていた。その理由は、尾崎の答えた中に詰まってる。

 「人と人が繋がって、笑顔が集まる『場』を創りたいって想いが根本にあるの。そこにある全てのモノ、サービス、流れる音楽、インテリア。もちろん1番大切なのはその場所に居るヒトが持つ空気感だから、それを自分達でデザインして創っていきたい。私は、空間としてやっぱりカフェが好きだし、キッカケは1杯のコーヒーでもお酒でも、ほんの一瞬でも1日の中で豊かだなって感じる時間を増やせたら素敵だと思ってる。 

だから、誠也がイメージする景色がすんなり共有できたし、一緒にやりたいとも思った。

そういうコミュニティーの場を世界中に創れたらいいなと思ってるよ」

 彼女が持つ信念に、僕が操られてるとも見える。花の木に入った後、尾崎から何度かママとの出来事が送られてきた。

  「昨日ね、花の木のママが人生は色んな出会いを繰り返す短編小説みたいなものだから。自分でシナリオを書かないとつまらないわよね。って、誠也と同じ事言ってたよ。笑 世代は違えどもママとは価値観が合うから、こうやって縁があるんだよね〜」

 「ママは 生き様を見せてくれるから、激動の時代というか自分たちが全く見た事なかった世界でずっとやって来てて。色々見て経験してきてるからこその、今の価値観や意見ってすごく響く。私が見込んだ人はだいたい成功するのよ。ってだからあなた達はやれるわって」

 花の木に入ったあとの尾崎の LINEは、いつもキラキラしていた。

その中にあるママの言葉が"嬉しかった"

自分の考えが肯定されたと感じたからではない。

花の木という素敵な空間を作るママがそう生きている事、そして、その人と繋がれた事が僕ら背中を押してくれた。

 ママに会いたいな。

一つのお店、空間に触れたいなんて、今まで思った事があっただろうか。  

 そう思いながら、2度目の訪問が出来ないまま、期間限定の尾崎のバイトは終わった。 

 もうすぐ2017年も終わる。

普段から忙しいこの街も、忘年会シーズンで更に人が押し寄せている。

 狂ったように酒を浴び、悲鳴のような雑音の中で、僕はどこか違う世界にいる気分だった。

 ここにいる全ての人にもそれぞれの人生がある。来年の6月で29歳になってしまう。

 20歳の時、最高の仲間を集めて、自分達で起業すると決めた時、今この瞬間から、25歳!遅くても28歳までには必ずやると心に決めた。

「絶対余裕だろ」なんならもっと早く出来るはず。そう思っていた当時の自分。

 気がつけば、そのタイムリミットも残り半年。不安と焦りが何度も自分を襲う。態度や考え、言うことは偉そうだが、この内面はとても人に見せられるモノではなかった。

 この後、僕らの運命が動き出し、目に見えない糸が既に繋がり始めているコトなどつゆ知らず、引っ切りなしに続く注文されたお酒を作っていた。

 人生には不思議な事が起こるものだ。それならそうと、先に教えておいて欲しい。

 いや、待った。違う。

知りたくはない。起こると分かっていたら面白くない。出来るか出来ないか分からないから、やってみたいんだ。

 いつだって進む方角は、自分達のオリジナルセンサーでありたい。

HALO episode2

2017年8月27日。
僕らは富士山の頂上から、下山している途中。神秘的な自然現象を目にした。
既にほとんどの体力を使いきり、この爆笑を続ける両膝を休ませるため、8合目あたりで腰を下ろした。その目の前に、太陽の周りに大きな虹色の輪がかかっていた。

「大ちゃんが、富士山の山小屋で働いてんだって!ゆうたと登るんやけど、誠也くん一緒に登らない?」
そう声をかけてきかたのは、オーストラリアにワーキングホリデーで行ってる時に出逢った、"広島出身のヤンキー"ミクからだった。
ミクと初めて会ったのは、2014年オーストラリアの畑仕事をしていた、小さい街のスーパーの肉コーナー。
僕と同じレタス畑で働いていた、ゆうたくんのシェアメイトで、出会う前から名前はよく聞いていた。

僕が、オーストラリアへ行ったのも、仲間と事業を起こす為の経験値と、うっかりステキな仲間が出来たらと思って行った。
作りたい物のイメージは常に頭の中にはあったので、ミクとスーパーで会った時、彼女は僕の思い描くイメージにドンピシャな人だと思った。
ただミクは帰国後、既に内定している就職先があった。
その話を楽しみに語る彼女の姿を見て、僕はこの想いを飲み込んだ。


そんなオーストラリアから3年。
同じ街で出会っていた大ちゃんに会いに、そして、頂上から御来光を見る為に、計5人で日本一の山へ向かっていた。

「富士山」

日本人なら誰もが一度は登りたいと思う山だろう。
登山への興味もそんなにない僕も、富士山にはいつか登りたいと思っていた。
ゴールデン街のお店「花の木」を訪れてから、数日。
未だなんの手応えもなく、3人でどうすべきか、議論を続ける事しかできていない。
今、色んな思いが空回りしている。
良いタイミング。
一度、日本一高いところから、この世界を感じてみたくなった。
体力への不安を除いては楽しみしかなった。

案の定。
準備はそこそこ完璧にして来たが、体力だけは誤魔化しが利かなかった。
一歩一歩が重く、ゆっくりと意識していても、息は勝手に上がる。
何度も何度も立ち止まり、腰を下ろした。
唯一の救いは、周りを見れば、雲が掴めそうなくらい近くにあるこの景色と、5人の仲間とのふざけ合いだ。

早く9合目にいる大ちゃんの所まで行きたい、頂上からの御来光が待ち遠しく思った。それが遠ければ遠いほど、高ければ高いほど、長く、重く、時に諦めたくなる。
「きっと人生も同じなのかもしれない」
自分で思い描いた夢や目標、生きたい人生が馬鹿げているほど。
自分の一歩がより小さく感じ、だからと言って急いだ所で、体力はもたない。

大丈夫。焦らず、着実に行こう。
景色や、仲間との時間を大切にしながら。
そんな人生と登山を照らし合わせる事で気を晴らしながら、ひたすら登った。

「おつかれさーーん。」
どっから見ても、誰が見ても、一目でこの人は優しい心を持つ人だと分かるステキな笑顔の大ちゃんが、大きく手を振っている。
走って飛びつきたい気持ちになっても、体はそうはいかなかった。
「久しぶり。元気?」
「もちろん元気、誠也くん来てくれてありがとう。」
ゆっくりと近づき、そして大きなハグをした。
不思議と疲れが吹き飛ぶ。

小さな山小屋には多くの人が居た。
案内された部屋は、5人が横一列にびっしり並んでギリギリのサイズだった。
それでも、身体を休ませられるこのスペースに感謝しかなかった。

御来光に間に合うようにと、午前2時に起床。
外に出ると、ダウンが必要なほど、寒かった。
既に、多くの人が列になって登山を開始している。
果たして、僕らは何番目なのだろうか。
真っ暗な空に。登山者のヘッドライトの動きと、数え切れないほどの星が浮かんでいる。
徐々に周りが明るくなってくる。
御来光に間に合うのか?
そう思っても、この前にいる人達のペースに合わせるしかない。
確実に目で捉えられる様になった頂上。
ゴールまでどれほどの距離があるか分からない時と、はっきりとゴールの距離が把握できる時とでは、不思議と足の軽さが変わった。
先の見えない不安や、自分の心の弱さに、エネルギーと意識が奪われていただけなのか、この身体にはまだ力が残っている。

無事、頂上に着いた。
しかし、凍えるほど寒い。
そして、なによりもこの強風が動きを止めた身体に突き刺さる。
それでも、道中の人から想像した頂上よりも混雑はしていない。
御来光にも間に合った。
見渡す限り雲海に囲まれている。
その雲海の中で、少しずつ、そして確実に、明るくなる場所がある。
間違いなくあそこから姿を現わす御来光に胸が膨らむ。

ゆっくりと登る御来光に自分達を重ねる。
このモヤモヤした、現状と想い。
それがこの雲海なのだとしたら、その中で自分達が太陽となり、この世に光として顔を出す日が来れば、必ず人々をステキに照らす自信はある。
その場所とタイミングさえ分かれば、、、
直視出来ないほどの光を放ち始めた太陽のお陰で、次第と身体は暖まり。
さっきまで見えないでいた、富士の頂上もくっきりと見えてきた。
自分がいる場所が、太陽のお陰ではっきり分かる。

存分に頂上を満喫し、9合目で大ちゃんとの別れを済ませた後も、僕らは下山を続けた。
下りはまた、登りとは違う辛さがある。
勝手に勢いがつくのを抑える為と、足元が滑らないようにする為に、膝が笑い出す。
そんな、慣れない下山のコツをつかもうとするうちに、8合目に着いた。
登りとは、段違いの速さで距離を進めた。

8合目。
下山は体とは裏腹に、心には少し余裕が出る。
その辺に転がる大きな岩に腰を下ろし、ふと顔を上げると、そこに今まで見たことのない景色が現れた。
さっき雲海から生まれた、太陽の周りに綺麗な虹の輪がかかっている。
僕は、はしゃぐ仲間を横目に、心は初めての感覚に襲われていた。

「これだ」

心の中にかかっていた、靄が晴れていくのを感じる。
ずっとふわっとしていた。
夢を語るにしても、まだ何もなしていない自分の言葉はどこか安く、綺麗事だと自分でも感じる。
やりたい事や、伝えたい想い、表現したい空気。
表現したいものは自分の中ではずっと有りながら確かなものは、いつも回りくどく、グチャグチャになった。
初めて見た縁を描くその虹の輪は、ずっと探していた、それに見えた。
天に「あなたの想う、作りたいものとは、これの事でしょ?」そう言われてる気がした。

「この現象を僕の生きる世界にも起こそう」
そう決めた。


最後に、富士山での体験が終わった後、当時僕がメンバーに送ったLINEの内容をそのまま貼り付けようと思います。
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the good waves

第一号店
屋号
「HALO」
ハロは、太陽の周りに虹の輪が出来る現象の事をいう。

富士山を登ってる時、雲が波の様に見えた。
風で流されながら形を変えて、波の様に動いてた。

頂上では、その雲海の中から、力強く光る太陽が姿を現し、富士山にいるほぼ全ての人がその姿に見惚れた。

そして、頂上から下ってる時、HALOに出会った。
太陽が真ん中で力強く輝き、その周りに虹が輪を作り、そこを雲が風に身を任せ流れていた。

俺たちは太陽。
そして、そこに集まる人達と共有、共感、共鳴を深めて。
それぞれの人生に良い波を生む。
その人々がそれぞれに吹く風に身を任せて人生を生きる。(雲の様に)
そして、どこかで偶然では片付けられない出会いの輪が広がっていく。

人生はオリジナルシナリオ。1人1人色は違う。

俺たちが放った光(俺たちがこの世に生む全て)に触れた様々な色を持つ人が繋がり、俺たちの周りに虹色の輪を作っていく。(コミニュティ)
それを、より多く、より大きく。より濃く。より素敵に。

HALOはHELLO.ALOHAに少し響きが似てて、挨拶の様に言いやすい。

それに、Tシャツとかキャップ、サンダルなんかそうゆうグッズにした時にもなんだか、いい感じのロゴになりそう。

どうかな。

この名前とイメージを元に、
場所。
物件。
サービスをまずは作ってみない?

HALO episode1

このHALO誕生のストーリーは、ある1人の男性との出会いから始まりました。


埼玉県出身の幼馴染3人で、初めて新宿ゴールデン街を訪れたのは、2017年8月16日。

1軒目の飲みを終えた僕たちは、2軒目の場所を考えながら歩いていた。

ゴールデン街って知ってる? 昔からあるディープな街らしいよ」
この言葉が誰から発せられたものなのかは曖昧な記憶。
確かなことは、3人ともゴールデン街という場所に対しての認知度がかなり低かったことだけ。

「あー、聞いたことある。面白そうじゃん。とりあえず行ってみっか」


当時、僕が声をかけた幼馴染の尾崎と久保と僕を含めた3人で、「自分達で事業を起こして宿泊施設を作りたい」その想いで集まっていた。
就職していた会社も退社し、本気で計画を立てて、時間が空けば3人で集まっていた。

でも正直、このままではマズイ。

その反面、だけど、どこか、ずっとこうしたかった。

もう後がなく、やるしかない状況に興奮していた自分を覚えている。

歩いて20分程でゴールデン街に着いた。
どれがゴールデン街なんだ?
これ全部ゴールデン街なのか?
それすらも分からなかった。
とりあえず歩いてみよう。

見た目は昔の映画に出てきそうな、細い路地にひしめき合う、お店たち。
数えきれない看板が並び、そこに外国人の観光客もたくさんいた。
どの店も入り口が小さく、店の中はほぼ見えない。じっくり見てはいけないのではと思わされるほど、なんとも言えない雰囲気だった。
二階もあるが、この細くて、急な階段を登って、中の見えないあの小さな扉を開けるのはかなりの勇気が必要だ。

結局、
「とりあえず今日はやめとくか」
そんな僕の逃げ腰な発言に2人とも同意した。

そんな結論を出した時、目の前の店の扉が開いた。
すると中から、1人の中年男性が出てきた。
自ら扉を開ける勇気がない僕らは、その扉が開いた瞬間に少しでもその店の中がどんな様子か見ようと、店内に目を向けた。
その時、僕はその男性と目が合った。

「君たち、ゴールデン街初めてなの?」

「はい。でももう、帰ろうと思っていたところです」

「じゃあ、僕が知ってるゴールデン街で一番怖いママのお店に連れてってあげるよ」

そう肩を掴まれ、共に歩き始めた。
"見知らぬ人について行ってはいけない"その教えを守って生きてきた僕からすると、この時なぜ、断らずついて行ったのか、そこだけが今になっても不思議だ。
ただ直感的に、細身で身嗜みもキチッとしていて、中性的なこの男性に、僕の防衛本能は作動しなかった。

その男性が足を止めた場所は、隣の路地の、扉に「花の木」とだけ書いてある、中が一切見えない、年季の入った、古そうなお店。

これは、"中が見えて、明るい感じで、入りやすい"という僕の最初の条件から一番遠いお店だった。

「大丈夫か?」
心の声がする。

そんな僕の気持ちはお構いなしで、その男性は扉を開けて店に入った。
「そこで会ったゴールデン街初めての若者を連れて来たの」

「あら、いらっしゃい」

そこには、怖いと聞いていたママ……ではなく、パーマ頭とメガネが特徴の独特な雰囲気をもつ細身の老婆がとても柔らかい笑顔で立っていた。
まるで、ジブリの世界に迷いこんだ様な感覚になり、扉が閉まると今までいた外の世界とは全く違う空間にいる気分だった。

店内は薄暗く、ママの横にはアシスタントの女性がいて、棚にはニッカのウィスキーがズラリと一面に並んでいる。
ボトルには名前のついた札が下がっていた。
メニューも無く、なにを頼めばいいのかというより、もうウィスキーしかないのだと思い、3人共ウィスキーを頼んだ。
店内には、確実に人生の大先輩だと分かる男性が一人、キープボトルのウィスキーロックを静かに飲んでいた。
お通しは、ママの手作りであろう料理が出た。

「あなた達はなにをしている人なの?」

ママは、とても品がある独特なアクセントの喋り方。
それが心地よくて、つい僕も熱くなり、今の僕らの状況と、今後の思いを語った。

「私は長くここで店をやっていて、多くの人を見てきたから、分かるの。
あなた達なら出来るわ。
私が見込んだ人達はほんとんどの人が成功しているわよね?」
そう、その男性に話を振った。

この時ママがくれた
「あなた達には出来るわ。」
この言葉には、鳥肌が立ち、心が震えた。
アドレナリンの様なエネルギーが溢れた。

これまでもいろんな人に色んな意見をもらった。もちろんそれぞれがとても有り難い意見だと思っている。
ただ、ママのこの一言は、何回思い返しても、その時のテンションで自分に突き刺さり、エネルギーをくれる。魔法の言葉だ。

最初の不安など、嘘だった様にすっかり落ち着き、話に夢中になっていると、気づけば終電の時間が迫っていた。

話の流れの中で、ママのアシスタントの方が舞台女優さんで、舞台の稽古が始まるから10月のアシスタントが足らなくなることが分かった。
その時尾崎が「私ママに弟子入りしたいです」と言った。
からしたら、意外な発言だった。
尾崎もまたママの魅力に惹かれていたのだろう。
尾崎はこの年8月6日に、7年勤めた会社を退社したばかり。退社する前では、絶対に出なかった返事だと思う。

そして、この尾崎の選択がHALOが誕生するまでの大きな一歩になっている事に、この時の僕らは想像もしていなかった。